資産家の父親が亡くなってしまったことで、通っていた女子学院の使用人の身分になってしまった主人公セーラが心の自由だけは奪われずに生きていく物語。彼女のプリンセスとしての気高さの灯は使用人になって冷遇されても消えることはありません。そしてこのセリフは意地悪なミンチン先生に向けて放ったものでした。
「私はお姫様。全ての女の子と同じように。小さな古い屋根裏部屋に住んでいても、ボロボロの服を着ていても、見た目が良くなくても、賢くなくても、若くなくても、私たちはみんなお姫様なの」
いったいどれだけの人がこの気高い心をもって生きることが出来るでしょう?もちろん子供に向けた作り話。けれどもしもこのような心意気を私たちも持つことが出来るならば、灰色の世界が少しは怖くなくなるのかもしれないと感じずにはいられません。
私が彼女の立場だったらどうかんがえたでしょうか?彼女との年齢の差は置いておいて考えてみました。
「家族がいなくなってしまって天涯孤独でどうやって生きていこう」
「昨日まではみんなと綺麗な服を着て何不自由なく暮らしていたのに…」
「先生や元同級生にいじめられて惨めで悔しい」
こんなところだと思います。自分の不運を嘆いて、使用人の身分を恥じて、未来を悲観していたかもしれません。
でもこれは全部、他人から見た目線で自分のことを評価しているからです。セーラにとってプリンセスとは豪華な暮らしをして何不自由なく暮らすことではなかったのです。
彼女にとってそれは生き様でした。その心さえ失わなければ、年齢も外見も社会的地位も関係なく女の子はみんなプリンセス(=かけがえのない美しい命)なのです。そしてそれは女の子や男の子といったものにとらわれず、すべての生きる人に共通することです。
そしてそれを教えてくれたのは彼女の亡くなったお父さまでした。実はこの《お父さま》の部分が一番ミンチン先生の神経を逆なでしたと思います。金銭的に裕福でもこのようなことを教えてくれる親を持つとは限りません。その思慮深い愛情を一矢に受けたからこそセーラは気高くありつづけられるのです。
現実の世界を生きる私たちのほとんどは、大人からこういうことを直接教わらずに大きくなります。きっとその大人も、もっと上の大人から教わっていないのでしょう。
それは筆者の生きていた19世紀英米でも同じだったのかもしれません。だからこそ筆者はセーラの口を通して「あなたは美しい」と無数の顔もわからぬ読者に伝えたのではないのかと思います。
そして、出来ることなら毎日、目を覚ます瞬間、鏡をのぞくとき、眠りにつく前に「私はなにがあろうと美しい」そう自分自身に伝えてあげることが、セーラの心に近づくための近道だと思います。